麻生副総理兼財務相のナチス発言は、「ナチスの手口に学び、国民が気がつかないうちに憲法改正を企てる」との趣旨に取られて内外の批判にさらされた。私も最初、朝日新聞の発言内容の書き起こしを読んだときは、そのような意味にしか解せなかった。しかし、録音を聞いた上で発言内容を検証してみると、そのような趣旨の発言ではなかったらしいことが見えてくる。そして海外メディアの論調に迎合するだけの日本のマスコミに深い失望を感じる。
当初から麻生副総理の発言の真意はわからないと言われている。私も最初、朝日新聞の書き起こし(「麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細」)を読んだときは何を言いたいのかさっぱりわからなかった。その後、海外メディアがこぞって非難したように、麻生氏は、「国民に気づかれずに憲法をこっそり変えたナチスの手口に学べ」という、ありえない暴言を口にしたと思い込むようになっていった。ところが、麻生氏の発言の録音(YouTube「ナチス発言」原文全文。麻生太郎副総理の失言。)に接することができ、「あの手口学んだらどうかね。」という問題発言がなされた前後の文脈や、この問題発言の意図やニュアンスを正確に汲み取ることができた。その結果、麻生氏の発言に対する私の考えはかなり大きく変化した。
麻生氏の真意は、それほど捉えにくいものでもない。むしろ、発言全体の趣旨はきわめて単純なものである。麻生氏の言いたかったことは、発言の冒頭部分に簡潔にまとめられており、そして、問題となっているまとめ部分に再度登場する。
(冒頭部分)護憲と叫んでいれば平和が来ると思っているのは大間違いだし、改憲できても『世の中すべて円満に』と、全然違う。改憲は単なる手段だ。目的は国家の安全と安寧と国土、我々の生命、財産の保全、国家の誇り。狂騒、狂乱のなかで決めてほしくない。落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、この状況をよく見てください、という世論の上に憲法改正は成し遂げるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない。(「麻生副総理の憲法改正めぐる発言要旨」から引用)
(まとめ部分)ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。(中略ー(筆者注)ここで靖国神社参拝に関する例示Aを挟む)だから、静かにやろうやと。(中略ー(筆者注)ここでナチスに関する例示Bを挟む)ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。(「麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細」から引用)
見ての通り、麻生氏の真意はきわめてシンプルである。発言の趣旨としては「やれ護憲だ、やれ改憲だと騒ぎ立て、喧噪の中で決めるのではなく、憲法改正は、落ち着いて、日本を取り巻く世界の環境と状況をよく見て、静かに世論を形成した上で成し遂げるべきである」といったところであろう。シンポジウムに出席した誰もが麻生氏の発言をそのように理解したであろう。
しかし、麻生氏のまとめ部分には「靖国神社参拝に関する例示A」と「ナチスに関する例示B」が挟まれており、論理構造が複雑になっており、特に「ナチスに関する例示B」が無用な誤解を生んだ。事前に用意された演説ではなく、シンポジウムでの発話である以上、論理構造が明確ではないことは、ある程度、仕方のないことであると思う。麻生氏の発言は、書き起こしの文章だけではニュアンスがつかめず、理解不能に陥るが、それでも、録音を聞くなら、その場に居た聞き手にとっては決して理解できない内容のものではなかったことがわかる。
まず、靖国神社参拝に関する例示Aは次のような内容である。
靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。(中略)わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。(「麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細」から引用)
麻生氏がここで言いたかったことは、靖国神社参拝を例にしつつ、「喧噪」と「狂騒」を生み出し、落ち着いた世論の形成を阻害しているのはマスコミである、との批判である。マスコミがことさらにそのこと(ここでは靖国神社参拝)を問題にするから、近隣の中国や韓国も騒がざるを得なくなる。憲法改正もしかりである、というマスコミ批判である。
次に、ナチスに関する例示Bである。
憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。(「麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細」から引用)
海外メディアがこの部分を英訳して伝えたことが、麻生氏は「ナチスの手口に学ぶところがある」とナチスを肯定する発言をしたと受け取られ、米国ユダヤ人人権団体が批判声明を発表して真意の説明を求める事態に発展し、さらには、韓国、中国が麻生氏の発言を厳しく批判するに至っている。
確かに「ナチスに関する例示B」は、麻生氏のナチスの歴史理解に間違いがある上、表面的にはナチスを肯定する表現であるため、麻生氏の発言全体の趣旨を台無しにするほどの影響を与えるとともに、読めば読むほど、理解不能にさせる。どうせなら、この「ナチスに関する例示B」がなかった方が、よほど論旨はすっきりし、訴えるところも的確に伝わったに違いない。
麻生氏の発言のまとめ部分の構造を分解すると、以下のようになっている。
- 今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。
- <靖国神社参拝に関する例示A>(いつも喧噪と狂騒を引き起こすのはマスコミである。)
- だから、静かにやろうやと。
- <ナチスに関する例示B>
- ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。
要するに、麻生氏が最後にまとめとして強調していることは「いつも喧噪を引き起こすマスコミによって憲法改正の落ち着いた議論ができない」ということなのであり、麻生氏としては、周辺諸国を刺激しないようにマスコミにはちょっと静かにしてもらって、憲法改正を国内で落ち着いて議論して世論を形成したいということなのであろう。
マスコミが騒ぎ立てるから周辺諸国が騒いで国内で憲法改正の議論がまともにできないことの例話として、ナチスの例示が登場する。「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。」とあるが、「だれも気づかないで」とは、「国民が気づかないうちに」という意味ではないと思われる。なぜなら、麻生氏は、マスコミが騒ぎ、その結果、周辺諸国が騒ぐのを排して、国内で憲法改正の議論を深めたいと言っているのであって、国民の意見を排したり、民主主義を否定することは、麻生氏の本意ではないからである。
むしろこれまでの文脈からすれば、「だれも気づかないで」とは「周辺諸国に気づかれないで」という意味で理解するのが適切であろう。その方がその後の「本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。」とつながるからである。ここで「みんな納得して」とは「国民が納得して」の意味で理解できよう。マスコミが憲法改正についてあれこれ取り上げることを否定するわけではないが、周辺諸国を不用意に刺激しないような、もっと賢い、憲法改正の取り上げ方があるのではないかと、麻生氏は言いたいのだろう。したがって、「 あの手口学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。」とは、マスコミに忠告していることだと理解できる。マスコミはもう少し賢くなって、周辺諸国(中国や韓国)に狂騒を巻き起こすのではなくて、国民が静かに議論できる状況を作って、みんなで納得して、いい憲法を作れるようにすべきではないか、と言いたかったのであろう。それを、「ナチスの手口に学べ」と言ったのは、ナチスに対する歴史認識に誤りがある上、ナチスを肯定する表現でもあり、国際感覚のない不用意な発言であるとされても仕方がないところである。
録音を聞けば、上記の4.<ナチスに関する例示B>の後には、聴衆の笑い声がある。この笑い声を、ナチスを肯定した聴衆の品のない笑い声と受け取るのは間違いであろう。「あの手口学んだらどうかね。」という麻生氏の発言は、彼流のアイロニーである。麻生氏によれば、静かな議論と落ち着いた世論の形成を邪魔しているのは、喧噪と狂騒を引き起こすマスコミである。このようなマスコミ批判の文脈の中で、麻生氏は「(マスコミも)あの手口学んだらどうかね。」と毒づいたのであろう。
麻生氏の真意は、マスコミが騒ぎ立てることで中国や韓国などの周辺諸国を刺激して、憲法改正論議が日本国内でまともにできなくなるのは、もういいかげんにして欲しい。静かに国内で憲法の議論ができる環境を作ることがマスコミの本来の役目ではないか、というところであろう。これは、録音を聞くことでようやくわかったことである。「靖国神社参拝に関する例示A」の中で、麻生氏が、(狂騒の犯人は)「マスコミですよ」と言って机を叩いたときから、あの場は、マスコミ批判の空気が続いている。その空気を引きずりながら、「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」と続いている。
ここで聴衆の笑い声が聞こえるのも、それが麻生氏独特のアイロニーがそこにあったからである。決して、国民の知らぬ間に憲法をこっそり変えようという企てを意図したものではなく、それに同調して聴衆が笑ったのでもないことは容易に理解できよう。麻生氏の「あの手口学んだらどうかね。」は、狂騒と喧噪の中で民主主義をだめにしてしまう(と少なくとも麻生氏が考える)マスコミに向けられた、痛切な批判であり、彼独特のユーモアと皮肉(sarcasm)であったと言える。
しかし、テープ起こしをすると、こういったユーモアのセンスはどこかに消えてしまう。テキストでニュアンスを伝えることの難しさがここにある。海外のメディアがこれを英文で海外に報道するとき、もはやテキストだけがニュアンスを離れて一人歩きしてしまうのである。
だが、日本のマスコミはなぜ海外の反応に同調して、自らも同じような論調の社説を展開してしまうのであろうか。すぐに外国人の顔色を見て、海外メディアの報道に迎合する日本のマスコミは、情報源(録音)にあたる努力もしなければ、その文脈を理解する国語力もなければ、外国人の誤解を解くための国際発信力もないのであろうか。
今回の麻生氏のナチス発言に関する海外メディアの報道、そしてユダヤ人権団体の批判は、多分に麻生氏の発言の誤解によるものであり、必ずしも的を射ていないものである。麻生氏の歴史認識に問題があり、発言にも無用な誤解と混乱を生む不用意さがあったのは確かである。しかし、その真意は、ナチス礼賛でもなく、ホロコーストを否定するような反ユダヤ主義(antisemitism)でもないことは明白である。謝罪を要求されるような深刻な性質のものではないし、閣僚の辞任を要求されるような筋合いのものでもないだろう。批判されるべきは、日本語で発言された文脈の適切な理解と麻生氏流のsarcasmを海外に伝える努力も発信力ももたず、海外メディアの論調に迎合していく日本のマスコミの批判精神の貧しさであろう。
(追記)「あの手口学んだらどうかね。」は本当に英語にしにくいですね。あの発言は、話の流れからすると、上から目線で「(マスコミは)あの手口学んだらどうかね。」と皮肉っていることが録音を聞けばようやくわかります(字面からそこまで読み取るのは困難ですが)。海外メディアの報道では、Japanが主語になっていたり、Tokyoが主語になっていたり、weが主語になっていたりします。感心したのは、worth learningという表現を使って主語をあえてぼかした報道があったことです。
あの問題発言は、聞いた人が主語を補わないと意味が成り立たないのですが、省かれた主語が何だったのか、その場にいた人にしかわかりません。しかし、自分が主語だったら、「学んだらどうかね」とは決していわないでしょう。しかし、このニュアンス、英語でどう伝えますか?「マスコミのみなさん、一つ考えてみたらどうかね」なんて、麻生さんが上から目線で言うかもしれません(笑)。
他のブログにもコメントしたことですがお許し下さい。麻生氏の発言の解釈はなるほどと思うこともあればそうかなと思うところもありますが、どちらにせよ「好きにしたら」という所です。他方、新聞記事(あるいは乱し)によると、ナチスの手口に学ぶ=ナチスを肯定していると言う理解の上で、批判や解釈が行われているところに大いに興味があり、コメントする次第です。簡単に説明させていただきますが、「ナチスの手口に学ぶ」の手口の意味は、悪事や企み事という意味であり、技術とか方法というような意味ではありません。英語にすると、trickとかmodus operandiとなります。「泥棒の手口に学ぶ」というと泥棒を肯定するのではなくて、反面教師として対処しましょうと言うことです。○○の手口に学ぶという、平均的日本人が知っている修辞句と理解するのがいいと思います。「肯定する」と理解するとすれば、近頃の日本人は駄目になったな〜と言うことですが、その結果国益も危うくなるのですからなんともはやという思いです。
なるほど、そうですね。「手口を知り、その手口に対して対策を立てる」というのが本来の言い方ですね。そうすると、learnという訳語を当てたのも誤りということになりますね。勉強になりました。ありがとうございます。
先ほどコメントいたしましたが、<新聞記事(あるいは乱し)によると>と述べたところは、<メデイアによる多くの批判は>と訂正して読んで下さい。日本語に文句をつけながら、日本語を間違っており申し訳ありません。