映画『もうひとりの息子』を観てきた。日本でも話題になっている赤ちゃんを取り違えた話だが、この悲劇がイスラエルとパレスチナの間で起きたことが、ふたつの家族という個人的な問題を超え、国家、民族、宗教といった社会的アイデンティティのレベルで個々の魂を揺さぶることになる。しかし予想していたほど、パレスチナ問題の戦闘の生臭さは描かれていない。描かれているのは、むしろ、政治的都合で「あちら側」と「こちら側」とに分断された、生温かい人間同士の魂の接触とすれ違いである。
パレスチナ自治区に病院を作る夢をもつ弟が実はユダヤ人家族の子であることを知った兄と、一人息子がヨルダン川西岸地区に住むアラブ人家族の子であることを知ったイスラエル国防省の父。彼らの心の葛藤が、パレスチナ問題を背景とするこの物語に緊張感を与えている。
分離壁を行き来して互いの家族に会うようになるふたつの家族。ヨルダン川西岸地区に私服で足を踏み入れたイスラエル軍人の父に、敵対するアラブ人の家族の兄が差し出したのは、「ナイフ」ではなく、握手を求める右の手だった。
パレスチナをイスラエルから分離する壁はなくならないが、心の分離壁をようやく乗り越えていくユダヤ人家族とアラブ人家族。中東紛争が作り出した「敵意」を乗り越えるのは、銃でも爆弾でもなく、生身の人間の苦悩する愛である。