小保方晴子博士の「STAP細胞」特許出願は基本特許となるか?

Stem cell research「数世紀に及ぶ生物細胞学の歴史を愚弄するものである」ー2012年、英Natureが彼女の論文の掲載を却下したときの査読者の評だという。理化学研究所の小保方晴子博士の発見したSTAP細胞はそれほどに「非常識」に満ちている。受精卵から体細胞へ分化すると、細胞は分化状態をメモリのように記憶しており、多能性細胞などの未分化細胞に戻る(初期化する)ことはないというのがかつての常識であり、体細胞を初期化するには高度な遺伝子操作が必要であると考えられていた。小保方博士の発見は、体細胞に一定のストレス(弱酸性の刺激)を与えることで、分化状態の記憶が消去され、多能性を再び獲得するということのようである。

小保方博士は、大学院時代に留学していたハーバード大のチャールズ・バカンティ教授らと共同で国際特許出願(公開公報WO2013/163296 A1”Generating pluripotent cells de novo”)をしている。門外漢の私には専門的で何もわからないだろうと思ったが、特許請求の範囲(クレーム)を読んで驚いた。請求項1には、

1. A method to generate a pluripotent cell, comprising subjecting a cell to a stress.(「細胞をストレスにさらすことを備える多能性細胞生成方法」)

と記載されているだけであり、素人の私でもわかる「そのまま」なのである。小保方博士の今回の発明をこれ以上広い権利で言い表すことはできないであろう。特許請求の範囲をいかに広く記載するかが、特許の価値を左右する。学者の特許出願は、いきおい学術的になりがちであり、特許請求の範囲に余計な専門的限定が含まれ、狭い権利となることが多い。小保方博士らの国際特許出願は、その点、特許請求の範囲の記載はいずれも非常に広く書かれており、この分野の特許出願としては優れものであると思う。彼女の発明がきわめてシンプルな発想から生まれていることも大きな要因であろう。請求項1がこのまま特許になれば、間違いなく世界を制覇する「基本特許」となるだろう。

しかし、残念ながら、ここまで広い権利を取得することは難しいだろう。国際特許出願をすると国際調査機関が先行技術を調査してサーチレポートを発行する。上記の公開公報の最後にはそのサーチレポートが添付されている。サーチレポートによれば、小保方博士の国際特許出願の請求項1は、別の日本人女性の先行技術により新規性がないとされている。その日本人女性とは、東北大学の出澤真理教授である。彼女もまた、「Muse細胞」という多能性幹細胞の発見者として有名である(47NEWS皮膚、骨髄に多能性幹細胞 「安全性高い」東北大』参照)。出澤真理教授の国際特許出願(公開公報WO2011/007900 A1「生体組織から単離できる多能性幹細胞」)には、

生体がストレスに曝されたり、傷害を受けると休眠状態の組織幹細胞が活性化され、組織再生に寄与することが知られている。本発明者は、骨髄間葉系細胞画分や皮膚線維芽細胞画分等の間葉系細胞又は中胚葉系細胞を培養している際に種々の方法でストレス刺激を与え(例えば、無血清培養、Hank’s Balanced Salt Solution(HBSS)による培養、低酸素培養、トータル3時間の間欠的短時間トリプシン培養、8時間若しくは16時間の長時間のトリプシン培養等)、生存している細胞を集め、メチルセルロース(MC)含有培地中で浮遊培養(MC培養という)を行った。

と記載されており、請求項17には「生体組織由来細胞を細胞ストレスに暴露し生き残った細胞を回収することを含む多能性幹細胞又は多能性細胞画分を単離する方法。」が権利請求されている。「細胞をストレスにさらして多能性幹細胞を生成する」という基本アイデア自体は、どうやら小保方博士のオリジナルではないようだ。そうすると、どのような細胞にどのような状態でどのようなストレスを与えるかといった多能性細胞の生成の条件を限定することが特許取得のために必要となりそうである。

小保方博士の国際特許出願では請求項13で、今回の弱酸性刺激以外にも様々なストレスが列挙されている。発明として完成している弱酸性刺激に限定するなら、特許が取得できる可能性は高い。また、サーチレポートを詳しく見れば、請求項7(「細胞が均一細胞集団にある」ことを限定)などには新規性または進歩性を否定する先行技術が少なくとも国際調査段階では発見されておらず、今後の世界各国(特に米国、日本、欧州)での出願審査を経てみなければわからないが、かなり広い権利が狙える余地も残されている。日本発の世紀の大発明に強力な特許権が付与されることを期待しながら、今後の特許出願審査の経過を見守りたい。

それにしても、 小保方博士の特許出願は、Google Patent Searchで”haruko obokata”と入力するだけで誰でも閲覧できるのだから、日本のマスメディアは、「リケジョ」を追いかけ回す前に、論文を取り寄せたり、特許出願を検索してみるなど、もう少し自分で彼女の研究成果を調べる努力をしてみてはどうかと思う。特許出願には論文には記載されない技術情報があったり、研究開発の苦労や方向性などが示唆されていることもあり、第一級の資料である。ここからまだまだいろいろなことが読み取れるだろう。

aoki

 

プライムワークス国際特許事務所
弁理士 青木武司

小保方晴子博士の「STAP細胞」特許出願は基本特許となるか?」への12件のフィードバック

      1. 桑田治

        早速のご訂正をどうもありがとうございました。
        最終的にクレーム13辺りで落ち着いたりすれば素晴らしいですよねぇ。
        なお本記事については私はBLOGOSサイトに転載されたもの(http://blogos.com/article/79314/)のほうを拝見しましたが、あちらでは修正は直ちには反映されない様子ですね。
        幾つかコメントが付いて活発な論議がなされていますが、私もいちおう研究者と知財関係者の両者の立場が分かるので何とも複雑な心境です。

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        1. Aquila 投稿作成者

          BLOGOS転載記事はBLOGOSの編集部が管理していますので、私には何もできません。修正が反映されるまでには時間がかかると思います。(更新内容は自動的にBLOGOS側に伝わる仕組みになっているようですが。)

          STAP細胞の知財競争は水面下で始まっていると思います。知財立国が絵に描いた餅にならぬよう、ここはがんばりたいですね。

          返信
  1.  

    出澤のは回収。
    小保方のは生成。
    かぶってる部分がひとつもないんだけど何書いちゃってるの?

    返信
    1. Aquila 投稿作成者

      コメントありがとうございます。出澤教授の特許は、生体の中胚葉系組織又は間葉系組織等に存在していると考えられる多能性幹細胞(Muse細胞)を分離する方法に関します(特許第5185443号の段落0040)が、ブログでも引用した箇所ですが、同特許公報の段落0024~0025には、

      【0024】
       生体がストレスに曝されたり、傷害を受けると休眠状態の組織幹細胞が活性化され、組織再生に寄与することが知られている。本発明者は、骨髄間葉系細胞画分や皮膚線維芽細胞画分等の間葉系細胞又は中胚葉系細胞を培養している際に種々の方法でストレス刺激を与え(中略)生存している細胞を集め、メチルセルロース(MC)含有培地中で浮遊培養(MC培養という)を行った。その結果、最大直径150μmまでの種々の大きさの胚様体様(embryoid body-like)細胞塊の形成が認められた。特に長時間のトリプシン処理を行ったヒト皮膚線維芽細胞画分及びヒトMSC画分において、最も多くの胚様体様細胞塊の形成率が認められた。
      【0025】
       本発明者らは、得られた胚様体様細胞塊中の細胞の特性を調べ、該細胞が多能性幹細胞の特性を有していることを見出した。さらに、本発明者らは、得られた胚様体様細胞塊中の細胞が従来報告されていた多能性幹細胞が有しない特性を有することを見出し、さらに、得られた細胞塊中の細胞の発現タンパク質を調べ、従来報告されていたES細胞、iPS細胞などの多能性幹細胞とは異なる発現パターンを示すことを見出した。

      と記載されていることから、同特許公報には「生体組織由来細胞を細胞ストレスに暴露し生き残った細胞を回収することを含む多能性幹細胞又は多能性細胞画分を単離する方法。」(請求項17)が開示されていると認められます。

      小保方さんの特許出願の請求項1「細胞をストレスにさらすことを備える多能性細胞生成方法」は文言上、きわめて広く記載されていますので、各国特許庁の審査基準によりますが、たとえばUSPTOのクレーム解釈の原則であるbroadest reasonable interpretationを採れば、小保方さんの特許出願の請求項1には、出澤教授の特許公報に記載されたような、生体組織由来細胞を細胞ストレスにさらして生き残った細胞を回収することにより多能性幹細胞を分離する方法も、「細胞をストレスにさらすことによる多能性細胞の生成方法」の中に含まれることになると考えられ、小保方さんの請求項1は、出澤教授の特許公報の開示内容により拒絶されると考えます。

      もちろん、小保方さんの発見したSTAP細胞の「生成」方法は、出澤教授のMuse細胞の「回収」「分離」方法とは全く異なりますが、ここでは、小保方さんの特許請求の範囲の記載と、出澤教授の特許文献の開示内容との関係を議論しています。

      もっとも私も専門外の分野なので、出澤教授の特許文献の上記の開示内容が、小保方さんの特許請求の範囲の記載との関係でどのように解釈されるかは専門的に正確な判断はできません。いずれにしても興味深い審査になりますので、各国特許庁の審査官の判断に注目したいと思っています。

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  2. 三好弘恭

    素人ですが質問させてください。
    STAP細胞の生成に再現性が認められない事から、小保方さんの発明は、仮説に戻りましたが、こうなると全ての請求項で特許権が得られることは無いと考えて良いですか?

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    1. Aquila 投稿作成者

      ご質問ありがとうございます。特許出願時点で発明が完成していたかどうかです。未完成発明であれば、特許権は得られませんが、発明の完成をどの時点で見るかは難しい問題です。私はこの分野の専門ではないため、判断ができませんが、科学論文としては十分に実証できていなかったとしても、特許出願としては記載要件や実施可能要件を満たしていれば、その発明が特許権として保護されることはありえます。STAP現象と言われるものが本当にあるのであれば、科学論文としては取り下げになるべきものであったとしても、特許が何らかの形で残る可能性はありえます。

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  3. 狩野 郁子

    先生のブログを読みSTAP細胞の請求項の広さに驚きました
    この請求が認められれば今後この分野における特許請求のすべてがこの権利に含まれるものなるのではと危惧します
    STAP細胞は現存する特定の技法を指定せず、科学的な裏付けを有する事無く、人工的に作られた自然発生以外の万能細胞全てという概念(定義)のようなものに権利を持たせたもののように感じられます
    これが認められれば万能細胞研究(IPS細胞研究の改良等を含む)の分野はすべて含まれてしまうのでは?
    小保方さんの論文はSTAP細胞という概念の中の一部分に過ぎず、STAP細胞に関する特許は現時点で論文及び発明は立証されずとも今後の万能細胞研究分野での利権(利益を得る)を搾取するべく広範囲にわたる万能細胞研究分野における権利を取得する事を目的としたこの分野での中間搾取のようなものではないかと思えるのです
    このように広すぎる権利が果たして認められるのでしょうか?
    また、この特許申請が取り下げらると仮定して、この特許申請日以降に出された類似の申請はすでに該出の発明として拒否されるのでしょうか?
    特許が新規性がある発明及び発見であると考えた場合
    STAP細胞の請求項にある『細胞をストレスにさらすことを備える多能性細胞生成方法』は非常に幅広いものですが、すでに公開された公知のものであるという前提で、例えばストレスという部分の言葉を変えて類似する発明を申請してた場合どうなるのでしょう?

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    1. Aquila 投稿作成者

      発明として未完成ということであれば、特許されずに拒絶される可能性がありますし、また、仮に特許されたとしても無効理由をもつことになります。

      一方、出願内容が公開されますと、公知技術となりますので、後の人が特許出願しても拒絶される可能性があります。しかし、この場合でも本出願に記載された内容が未完成発明であれば、公知技術にはなっていないと反論して、後の人の特許出願(完成した発明)について特許を取得することが可能です。

      出願にどの程度まで技術を開示(場合によっては実験結果を提示)すれば、完成した発明であると認められるかは、技術分野によって異なります。本出願の場合、特許明細書に開示された内容からは今のところ誰も再現できないということのようですので、発明として完成していなかったと判断される可能性が高いと思われます。

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