審査官の立証責任の話の続きです。具体的な案件の話をするとややこしいので、仮想的な事例で説明します。
リクライニングチェアAに係る特許出願があり、リクライニングチェアBを開示した引例によって新規性の有無が争われているとします。
出願人は、引例に対して新規性をもたせるために本発明のリクライニングチェアAにはアームレストがないことに注目し、「アームレストのないリクライニングチェア」と補正したとします。
引例には、アームレストについての記載が全くなく、図面にはリクライニングチェアBのリクライニング機構が詳しく書かれていますが、外観図がないため、リクライニングチェアBにはアームレストがあるのか否かは図面からはわからないとします。
審査官は、引例にはアームレストについて言及がないことから、引例のリクライニングチェアBにはアームレストが存在しない。よって、本発明の「アームレストのないリクライニングチェア」は、引例に対して新規性がないと結論づけました。
「引例のリクライニングチェアBにはアームレストが存在しない」という結論は審査官の憶測に過ぎず、証拠が示されていないとする出願人に対して、審査官は、それなら、引例には「アームレストのないリクライニングチェア」は開示されていないことを自ら立証しなさいと言ってきたとします。
引例のリクライニングチェアBにはアームレストがあることが言えれば、出願人は立証に成功しますが、アームレストの存在について引例からは真偽不明です。
なお、ここでは、引例に対する新規性の有無だけが争われており、その先の、他の文献との組み合わせによる進歩性欠如やアームレストがないことによる顕著な作用効果の主張などは今は関係ありません。
この事例では、審査官は、アームレストについてsilentである(アームレストがあるかどうかは真偽不明である)引例に対して、引例には「アームレストのないリクライニングチェア」は開示されていないことの立証責任を出願人に負わせようとしていますが、本来は、拒絶理由を通知する審査官側に、引例のリクライニングチェアにはアームレストがないことの立証責任があるはずです。
このような出願人への立証責任の転嫁が行われた背景には、請求項に「アームレストのないリクライニングチェア」という否定的限定が含まれていることがあると思います。
発明が「アームレストの<<ある>>リクライニングチェア」であれば、すべての構成要件を開示した引例でないと新規性欠如の拒絶理由を通知できないわけですから、審査官が引例のリクライニングチェアにはアームレストがあることの立証責任を普通に負うと思います。アームレストについて記載していない引例をもってきて、構成要件にアームレストを含むリクライニングチェアの請求項を新規性欠如で拒絶できないからです。
しかし、発明が「アームレストの<<ない>>リクライニングチェア」となると、引例に「アームレストなし」という構成要件が開示されていることの立証責任を審査官が突然放棄し、引例には「アームレストのないリクライニングチェア」は開示されていない(引例のリクライニングチェアにはアームレストがある)ことの立証責任を出願人に負わせようとしています。
これは、米国出願のオフィスアクションであった例を仮想事例でわかりやすく言い換えたものです。実際は、「グラフィックスプロセッサはメインメモリに格納されたテクスチャデータを更新しない」ことを特徴とする発明で、否定的表現でしか発明を特定できないところがこちらも立場が弱いのですが、米国の判例やMPEP(審査基準)を盾にとって、立証責任を審査官に投げ返して拒絶理由を撤回させようとしています。そうする以外に反論できないところまで追い詰めれているからなのですが、日本でも同じような論法が通用する場面があるのではないかと思います。