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人間に自然に具わった能力のうち特定の認識能力の利用も、自然法則の利用ということができる。
平成20年(行ケ)第10001号 審決取消請求事件 平成20年8月26日 知的財産高等裁判所)
[判旨]
ある課題解決を目的とした技術的思想の創作が、その構成中に、人の精神活動、意思決定又は行動態様を含んでいたり、人の精神活動等と密接な関連性があったりする場合において、そのことのみを理由として、特許法2条1項所定の「発明」であることを否定すべきではなく、特許請求の範囲の記載全体を考察し、かつ、明細書等の記載を参酌して、自然法則の利用されている技術的思想の創作が課題解決の主要な手段として示されていると解される場合には、同項所定の「発明」に該当するというべきである。
本願発明は、非母語話者であっても、一般に、音声(特に子音音素)を聞いてそれを聞き分け識別する能力が備わっていることを利用して、聞き取った音声中の子音音素を対象として辞書を引くことにより、綴り字が分からなくても英単語を探し、その綴り字、対訳語などの情報を確認できるようにし、子音音素から母音音素へ段階的に検索をすることによって目標単語を確定する方法を提供するものである。
本願発明は、人間(本願発明に係る辞書の利用を想定した対象者を含む。)に自然に具えられた能力のうち、音声に対する認識能力、その中でも子音に対する識別能力が高いことに着目し、子音に対する高い識別能力という性質を利用して、正確な綴りを知らなくても英単語の意味を見いだせるという一定の効果を反復継続して実現する方法を提供するものであるから、自然法則の利用されている技術的思想の創作が課題解決の主要な手段として示されており、特許法2条1項所定の「発明」に該当するものと認められる。
そのような観点に照らすならば、審決の判断は、①「対訳辞書の引く方法の特徴というよりは、引く対象となる対訳辞書の特徴というべきものであって、(中略)対訳辞書の特徴がどうであれ人間が行うべき動作を特定した人為的取り決めに留まるものである」などと述べるように、発明の対象たる対訳辞書の具体的な特徴を全く考慮することなく、本願発明が「方法の発明」であるということを理由として、自然法則の利用がされていないという結論を導いており、本願発明の特許請求の範囲の記載の全体的な考察がされていない点(中略)において、妥当性を欠く。したがって、審決の理由は不備であり、その余の点を判断するまでもなく、取消しを免れない。
のみならず、前記のとおり、本願の特許請求の範囲の記載においては、対象となる対訳辞書の特徴を具体的に摘示した上で、人間に自然に具わった能力のうち特定の認識能力(子音に対する優位的な識別能力)を利用することによって、英単語の意味等を確定させるという解決課題を実現するための方法を示しているのであるから、本願発明は、自然法則を利用したものということができる。本願発明には、その実施の過程に人間の精神活動等と評価し得る構成を含むものであるが、そのことゆえに、本願発明が全体として、単に人間の精神活動等からなる思想の創作にすぎず、特許法2条1項所定の「発明」に該当しないとすべきではなく、審決は、その結論においても誤りがある。
[解説]
特許法29条1項柱書きには、「産業上利用できる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。」と規定されている。そして、特許法2条1項には、「「発明」とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。」と規定されている。特許を受けるためには、特許法における「発明」をしなければならないわけだが、その「発明」とは「自然法則」を「利用」していることが要求される。したがって、「自然法則」とは何か、そしてその自然法則を「利用する」とはどういうことなのか、が問題となる。
争点となった本願請求項3は、人間に自然に具わった能力である子音に対する優位的な識別能力に着目し、英単語から母音を除いて子音だけの構成にした文字列が列挙されていることをひとつの特徴とする辞書について、その辞書の引き方が記載された請求項である。
審決では、「人間が「辞書を引く方法」自体は,一般に,人間が行うべき動作を特定した人為的取り決めに基づく辞書の参照方法といえ,本願発明の「辞書を引く方法」も,人間が「辞書を引く方法」として解釈可能であ」り、「対訳辞書の特徴がどうであれ人間が行うべき動作を特定した人為的取り決めに留まるものである」と判断された。これに対し、裁判所は、上記「判旨」のごとく、「人間に自然に具えられた能力のうち、音声に対する認識能力、その中でも子音に対する識別能力が高いことに着目し、子音に対する高い識別能力という性質を利用して、正確な綴りを知らなくても英単語の意味を見いだせるという一定の効果を反復継続して実現する方法を提供するものであるから、自然法則の利用されている技術的思想の創作が課題解決の主要な手段として示されており、特許法2条1項所定の「発明」に該当するものと認められる。」と判断した。
言語の理解は人間の精神活動の中でも極めて高度な部類に属すと思われる。「子音」や「母音」は、人間が音波を分類して命名した人為的取り決めである。そうすると、裁判所は「子音」や「母音」の区別というよりは、人間の耳が、短時間で高周波成分を多く含む音波(子音)と比較的長い時間継続する高周波成分の少ない音波(母音)とを分別する仕組みを自然に持っており、その仕組が「自然法則」であると判断したと理解できる。その仕組みはおよそ人間であれば自然に備わるものであり、誰もが反復継続して発揮できる能力であるからである。そして音波の一種である言語の発声を、その「自然法則」を利用して分解すると、子音だけを並べた文字列が作成できる。この「子音だけを並べた文字列」をリスト化した辞書を引こうとする者は、辞書の利用に先立って言語の発声を「自然法則」を利用して子音に分解することになるので、自動的に自然法則を利用することになる。
本件における裁判所の判断を前提とするならば、人間の精神活動の中でも外界の情報の接点である五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)などの、脳によって高度な情報処理がされる前の低レベルな感覚は、「自然法則」と解釈できる余地があることになる。さらには、脳による情報処理の結果生まれる「錯覚」などの現象も、人間であれば自然に備わるものであるから、「自然法則」と解釈できるかもしれない。
このように、特許の保護対象である発明を定義づける「自然法則」およびその「利用」について、具体的な解釈が示された点で興味深い裁判例である。
弁理士 寺川 賢祐