国境をまたいだ訴訟における代理人の秘匿特権

Intellectual Property in Common Law and Civil Law日本企業がアメリカで知財訴訟に巻き込まれた場合に、日本の弁護士/弁理士と依頼者の間でなされた意見交換について秘匿特権があるかどうかが問題となります。日本の弁理士にも秘匿特権を認めるアメリカの判決が出ていることからこの問題は解決したと思っている人が多いですが、そ の理解はかなり怪しいので気をつけなければなりません。

知的財産に関わる事件は国境をまたいで争われることが多くなっています。コモンロー(英米法)の国(アメリカ、英国、オーストラリア、カナダ)の 民事訴訟では、相手方に証拠の開示を要求することのできるディスカバリー制度がありますが、その対抗手段として、依頼人には、弁護士と依頼人の間 でなされた通信や文書について秘匿することのできる特権(attorney-client privilege)が与えられています。

一方、英国以外の欧州や日本のようなシビルロー(大陸法)の国にはこの秘匿特権が法律に明記されていません。日本の法律では、弁護士/弁理士には 職務上知り得た事実であって黙秘すべきものについて法廷で証言を拒否することができ(「証言拒否権」、民事訴訟法 197 条 1 項 2 号)、更に当該事実が記載された文書であって黙秘の義務が免除されていないものを提出することを拒否できます(「文書提出拒否権」、同法 220 条 4 号ハ)。しかしこれらの拒否権は、弁護士/弁理士に課せられた職務上の守秘義務による例外を規定したものであって、コモンローの国のような包括的かつ普遍的な「秘匿特権」の規定ではありません。

このようにコモンローの国とシビルローの国の法体系の大きな違いがある中、国境をまたいだグローバルな知的財産の訴訟が起こった場合(たとえば、 日本企業の製品がアメリカ企業の特許を侵害しているとアメリカで訴えられたような場合)、日本の弁護士/弁理士が日本企業との間でかわした特許侵 害の有無に関する意見や鑑定結果についてディスカバリー制度によって証拠の開示を要求された場合に、それを拒否できる「秘匿特権」が認められるか どうかが問題となります。

civil lawの国では弁護士/弁理士に守秘「義務」が課せられているのに対して、common lawの国では強力なディスカバリーに対する例外として弁護士とクライアントの間のコミュニケーションを秘匿する「権利」があるという構造になっています。つまり、コモンローの国とシビルローの国では、権利と義務が真逆になっています。両者の法体系の違いによる溝は深くて埋めがたく、小手先の法改正でこの溝を埋めることはできません。それぞれの法体系の長い歴史と根底にある鉄月の違いがあるからです。そのため、この問題の国際調和(ハー モナイゼーション)への道はきわめて険しいものとなっています。

まず、この権利と義務の違いについて、きちんと理解できている人は意外に少ないかもしれません。私自身、民訴の証言拒否権/文書提 出拒否権と、アメリカのディスカバリーにおける弁護士の秘匿特権の本質的な違い(質的相違)がわかっておらず、単に範囲と程度の問題(量的相違)にしか捉えられていませんでしたが、それは大きな間違いでした。また、弁護士の秘匿特権という言い方も正しくなく、正確には、依頼人に秘匿特権があるのであって、依頼人が秘匿特権を放棄しない限り、米国弁護士には守秘義務 があるのはアメリカでも同じです。

この問題がさらに複雑になるのは、英国以外のEUの諸国の法律はシビルロー(大陸法)であるといっても、コモンロー(英米法)の影響を受けつつあ ることです。現にフランス人は、privilege(秘匿特権)という言葉を使って自分たちの制度を説明することがあり、大陸法に英米法の考えが混在して きています。日本でも弁理士法を改正して弁理士の秘匿特権を明確にしようとする動きがあり、単純に大陸法と英米法で分けて議論できるものでもない のかもしれません。

以上は話の前提に過ぎません。秘匿特権のある国と秘匿特権のない国をまたいだ知財訴訟において、秘匿特権が認められていない国の弁護士/弁理士が 顧客に与えたリーガルアドバイスが、秘匿特権のある国における訴訟においてディスカバリーの対象となるおそれがあり、そのおそれがある限り、秘匿 特権のない国の弁護士/弁理士が安心して顧客にリーガルアドバイスを与えることができないという問題を解決しなければなりません。

解決策として、コモンローの国とシビルローの国の間で二国間条約を結んで問題を解決する案や、ケースバイケースで双方の国の法律を選んで適用する案、 両国の法律の違いは棚上げにして機能的(functional)アプローチで解決する(手段は違っても結果が同じになればよい)案などがありますが、結論を出すには時期尚早です。

またもう一つの問題は、秘匿特権を弁護士/弁理士に限定するのか、知的財産に関するアドバイスを与えることが期待されている専門家(エージェン ト)にまで拡大させるのかです。この点はものすごくもめています。これは、アメリカがパテントエージェントのような非弁護士に対しては秘匿特権を 認めていないのに対して、非弁護士に対しても秘匿特権を認める国がいくつかあるからです。これを認めると、日本でも、たとえば行政書士が知的財産 の業界に入ってくるかもしれないという懸念が出てきます。秘匿特権をめぐる外交交渉は、弁護士/弁理士の「既得権益」を守る闘いにもなってきま す。

最後に、日本の弁理士に秘匿特権があるかを考えたいと思います。

アメリカは日本の弁護士には秘匿特権を認めますが、パテントエージェントに秘匿特権を与えていない関係で、日本の弁理士に秘匿特権があるかどうか が問題とされてきました。

VLT事件地裁判決(2000)は日本の弁理士に秘匿特権を認めた判例として紹介されていますが、これは、アメリカの裁判所が日本の民事訴訟法の 改正の趣旨を多分に誤解したことにもとづいています。アメリカの裁判所は民事訴訟法220条を、アメリカのディスカバリーと秘匿特権の導入である と受け止めた節があります。前述のように、権利と義務が真逆になっている法体系の違いをアメリカの判事であっても理解できていないのです。

その後、Eisai事件地裁判決(2005)でも日本の弁理士に秘匿特権が認められていますが、これも改正後の民訴が秘匿特権を弁理士に与えてい る以上は、アメリカの裁判所も国際礼譲としてこれを尊重しなければならないと判断したものです。改正後の民訴が秘匿特権を与えたことを前提にして いますが、日本の民訴220条の文書提出拒否権は、アメリカのディスカバリーに対する広範で普遍的な秘匿特権と同じ性質のものではないはずです。 その前提が崩れてしまうと、日本の弁理士は秘匿特権を失います。ケースバイケースの判断になるおそれがあります。

いずれにしても、日本の弁理士に当然にアメリカのような秘匿特権があるという結論が出せるような状況ではありません。不確定要素が残っており、引き続き、外交交渉や二国間条約などによる根本的な解決が必要な領域であることに変わりはありません。

弁理士 青木武司

コメントを残す